動く遠心分離機
現在日本シリーズが行われています。1985阪神が日本一になった時は、私は医学部2年生でした。1年生の時でした。生物の実習でカエルの解剖がありました。カエルの解剖なんて面白いこと全然なかったのですが、出席しなければ単位をくれないのでイヤイヤ参加していました。すると出席番号一つ前のM代君が嬉々として解剖しているのを見て、私は、「あれ?僕来る大学間違えたかなあ?」と感じました。そして2年生の時の化学実習をしている時にちょうど、阪神対西武の日本シリーズが行われていました。当時は、日本シリーズはデーゲームで行われていました。私は化学の実験どころではありません。当時は、携帯もDAZNもありませんので、競馬中継を見るためにオッチャンがたまに購入していたマイクロテレビで日本シリーズを観ながら化学実習をしていました。化学実習も出席しなければ単位くれません。実習には全然集中していなかったので、遠心分離機の重心の持っていき方を間違えてしまい、高価な遠心分離機が動き始めました。前述のM代君と実習担当の先生がなんとか動く遠心分離機を止めてくれました。M代君に烈火の如く怒られました。M代君は正義感も強く、私ではないですけどカンニングをしている同級生には「卑怯者」と言っていました。学年が進んでくると、実験や病院実習も増えて、僕は”多分M代君に怒られてばっかりやろな”と思い、学年を変える(=留年する)ことにしました。そして一年休憩して、残り4年間平穏な医学部生活を送りました。そして、総合内科医を目指し第1内科の研修医になりました。すると1年先輩にあのM代君がM代先生となって立派な研修医生活を送られた後となられていました。”よりにもよってM代先生おるんかいな”と思いましたが、第一内科の一つ先輩には10人以上おり、私の指導医にはならないだろうと思ってました。一年先輩の研修医が成り立ての一年後輩の研修医に医者の”イロハ”を教えるシステムになっていました。くじ引きが行われM代君(先生)が私の指導医に決まりました。M代先生は、私ともう一人超美人の一年目ドクターの指導医に決まりました。その女医さんが美人すぎてその人にはM代先生ひとつも怒らずに私ばかりがビシバシに鍛えられました。今では超初期研修医の時にM代先生に鍛えてもらった事は感謝しまくってますが、当時は”4年前に逃げたのになんでまた捕まらなあかんねん?”と自分の不幸を嘆いていました。今思うとM代先生と私は、”これ”と思った事は思い切り深掘りしたり、没頭したりする点では同類項かなと思い再会したい気持ちでいっぱいです。M代先生は関東の大学の生化学の教授をしており、かたや私は町医者稼業を邁進しています。なんか日本シリーズを観ていると1985年日本シリーズの時のことを思い出してツラツラ書きました。






