私は、医局人事で某病院の勤務医として派遣されました。派遣病院先で入院患者様の引継ぎをしました。その中に、肝細胞がん末期患者様がいらっしゃいました。引継ぎがうまくいかず、初めは患者様家族からお叱りを受ける時も多々ありました。しかし、私は自分の仕事を淡々とこなしていきました。

そして、前述の末期がん患者様はお亡くなりになりました。すると、患者様のご遺族から感謝の意をおききしました。でも、私は自分の仕事をしているだけで、なんとも思いませんでした。次に、上司の医師に「よく頑張ったね。大学の医局長に報告しとくからね。」と言われました。この言葉に、私は大きな価値観の相違に気が付きました。

時が経って、私は肝硬変(B型)の患者様の主治医になりました。患者様の食道静脈瘤を調べる為、胃カメラをしたところ、早期胃がん(スキルス細胞検出)を認めました。肝硬変の程度はCHILD B(中等度の肝硬変)ですが、腹水や食道静脈瘤などの門脈圧亢進症状が前面に出ているだけで、肝機能は十分保たれていました。外科手術で命は助かると思い、外科紹介することにしました。外科部長(副院長)に直接病状説明を行い、外科手術することとなりました。手術は行われ、胃切除は行われたものの、リンパ節郭清は行われませんでした。そのため、そんなに時間がかからぬ間に、その患者様は癌性腹膜炎で他界されました。私の怒りはかなり頂点に達して、不充分な外科手術であったことを患者遺族にお知らせしました。そして、私はその組織を去り、1年間フリーターをやった後、今の地に開業しました。

勤務医として、組織の人間ですので、それには不適合かと思いますが、自分の仕事は淡々とこなしてきたつもりです。

てな感じで勤務医から開業医になって、はや20年以上経過します。不器用な面も多いのですが、患者様におかれましてはご指導の程、お願いいたします。

(後書き)

私は医局制度を否定するものではありません。特に徒弟時代は、多くの医術を習いました。しかし、その医術を一旦身にまとうと「見習い」から「親方」へと進めませんでした。今は、単なるプラグマティック町医者と考えています。