私は大阪府茨木市の生まれです。

私の今のクリニックのある東灘区本山、青木地区との出会いは私が中学1年生の時でした。

ですから今から約50年前(昭和50年頃)です。

私は茨木から東灘(含む灘区)の塾に週に5日位通っていました。

その塾はスパルタですがファンキーな友達が多くいました。

部活を早上がりしてJR茨木発17:00の備前片上行快速に乗り、JR摂津本山(一部六甲道)

に17:40位に到着し18:00から2~3時間の授業を受けるという生活を3年間続けました。

茨木から摂津本山まで約40分。大阪駅までは座れないので、プロレス好きの私は大スポを読んでいました。

(”中学生が大スポなんか読んだらあかんやろ” ”いや 変なページは読んでいません。多分(^_-)-☆)

大阪駅から芦屋駅までは座れるのでチョコっと寝をして元気に塾に通っていました。

その塾は今では考えられないスパルタ塾でしたがまず第一に感謝している事は数学的発想を身に着ける

事ができるようなった事です。また私はプチ帰国子女ですので日本語の読み書きが少し弱かったので文法的に日本語を書けるようになったのも感謝しております。(小学校時代の私の絵日記はクリニックに母との会話の形見として置いています。かなり笑えますよ。よろしかったらお見せしますね(^^)/)

大阪人の私が神戸の友達にまず衝撃を受けたことは、”みんな凄く垢抜けしているな~”と感じました。

茨木では普通の公立中学(嘉門達夫と同じ中学)に行っていたので、音楽に関しては当時キャンディーズです。”僕スーちゃん派” ”僕ランちゃん派”とか言っていました。

でも神戸の友達はQueen Kiss Eagles等を議論していました。Queenのベースのジョン・デーコンがどうのこうのとか、私は正直チンプンカンプンでした。友達の家に行ってそれらのバンドのプロモーションビデオを見せてもらい、”神戸と大阪ではエライちがいやな”と感じました。

塾は天井川と2号線の交差する所にあり、2号線は市電はすでになくなっている状態でした。

現存する店やスポットとしては、私のクリニックの近くにあるコーヒー豆の店と青木の駅前にあるバッテイングセンターがあります。

塾が早くに終わると阪神電車で帰って甲子園球場に行きました。当時はまだ甲子園球場も牧歌的で7回終了時でしたら、無料で入れてくれました。

本当にセピア色の思い出です。